ホワイトベースさんからコメントが来た件について

ご無沙汰しています。ケインです。

X(ツイッター)でぷち炎上している件について、バイク界隈No1youtuberのホワイトベースさんからコメントというか質問をいただきました。

それではお返事していきましょう。

各地の二輪のみ通行止めになった場所についてですが、少なくとも私の行っていたスポットでは二輪のみ通行止め規制がされた場所はないので私には関係のないことです。私はローリング族の代表ではありませんし(代表なら名誉なことですが)、他人の行為に対して「自己責任」を負う立場にもありません。私らの世代が悪いという論調も散見されますが、こんな何十年も経った今の時代になっても規制が解除されないのははっきり言って規制をしている「オートバイ嫌い」の人たちのせいです。オートバイに乗る人が有権者の過半数を越えていたらそんな規制はあっという間に消えているはずです。まずここにもバイクに乗る人乗らない人の断絶があります。乗らない人にとってはバイクなんて危ないものは無くなれば良いとくらいにしか思われていないのでしょう。

ここでひとつはっきりと明言しておきたいことがあります。仮に二輪通行規制が解除されたとして、じゃあ80年代90年代のようなローリング族が復活して元の木阿弥になってしまうことが起こるのかというとそれは絶対にありません。安心してください。

なんでそんな事が断言できるのかと言うと、大多数の元ローリング族にとってさえ現在の社会状況ではリスクに見合わないからです。具体的には2004年の道交法改正の共同危険行為取り締まりが始まったからです。なので昔のように共同してローリング行為をするというのはよほどの覚悟がないと(もしくは何も考えていないか)出来ない行為になっています。現に今ローリング族いないでしょう?もし居たら希少種なので保護してあげてほしいくらいです。今居るのはローリング「族」じゃなくてローリング「君」、個人営業ばかりです。なのでかつて社会問題になったような時代は絶対に戻ってこないです。何回も言いますがその点は安心してください。

1980年代後半からいままで二輪禁止とのお話ですが、それは単に二輪禁止を解除するメリットが見つからないからでしょう。インバウンドのように目に見えるメリットがあればさっさと解除されている筈です。決して過去のローリング族がトラウマになっているわけではありません。トラウマと言うのであれば70年代の暴走族のほうが社会問題としてはよほど大きかったですし、一部は旧車會などに残っているようですが、今はもう暴走族はいないに等しく社会問題にもなっていないでしょう?同様に、もう時代の流れとともに絶滅していくしかないローリング族をあまり目の敵にするなと私は言いたい。ローリング族など、もはやほぼ概念の領域ですよ。それを目の敵にするのは思想的にバイアスが掛かっているのではないですか。

それにローリング族がこの世から完全に絶滅しても、バイクそのものが残っている限り社会の中に一定数存在するバイクが嫌いな人からの差別はなくなりませんよ。ローリング族の次は何を敵にしますか?社外マフラーですか、スピード違反ですか。バイクに乗らない人、もっと言えばバイクに嫌悪感を持っている人との相互理解は不可能です。だってあんなタイヤふたつしかついていなくて油断したら転ぶような危ない乗り物、乗らない人に理解しろという方が無理です。

ブームが去ってバイクもこれだけ減っても簡単には解除されないのです、とおっしゃいますがむしろ逆ではないですか。多数決で決めれば少数派の意見が通る筈がない。多数派が勝つに決まっている。東南アジアやインドのようにバイクが主要な交通機関だったら規制するメリットがないんだから規制なんてされていないでしょう。もちろん観光協会や議員さんにスピーチをされるというような地道な努力をされていることに対しては敬意を表しますが、個人が(私が)個人の責任で勝手にスピード出してぶっ飛んでいくことに他人から文句を言われる筋合いはないですね。そんな事に文句を言うなら、日本国内で年間400万件検挙されている各種違反行為にも文句を言うべきだという話にもなります。いや検挙されていないだけでもっと多くの違反行為が日常的に行われていますがそれにも文句を言うべきだと?いやいや他人がやっているから自分もやって良いという話じゃないですよ、違法合法問わず自分の行いは自分で決める自己決定権があるという話をしています。そういう思想が気に入らない人がいるのは承知しています。

最後になりましたが「生き残った、と表現されているのはどういう事でしょうか」という話ですね。これは文字通り何度も命を失ってもおかしくないような場面にあっていて、それでも生きていることです。もっと言えば命の危険があってせっかく助かったのに、それでもバイクという危ない乗り物から降りない自嘲でもあります。大多数の人にとっては暴走族が事故で死んだからといって別にどうでもいい話でしょう。でも私にも仲間の死を偲ぶ程度のメンタリティはあります。

バイク転倒し女性死亡 ガードロープに衝突 北海道小樽市 毛無山

大事な仲間が死んでもバイクを降りない、死ぬような走りをやめられないのはある種自己矛盾のようにも感じますが、明日は我が身と覚悟しながら走っているから「生き残った」という表現になるのかなと。バイクって危ない乗り物ですからね。

とりとめもない話にお付き合いいただいたホワイトベース様や皆様、ありがとうございました。

・・・てこのブログをポストしてから行き違いで二宮氏が動画上げてたんだけど一応それも貼っておきますか。

で動画の中ではいつものようにローリング族を批判しているんだけれど、動画のコメント欄にこんなのがあった。

@かいてんRR
2 時間前
先日話してた。
年越し宗谷岬も
同じですよ。

@destiniadestinia8444
15 分前
北海道をなめてる新年の稚内珍走と似たような話だっての
受けとる側の問題

そのコメントを見てあーなるほどと得心がいった。何年か前に二宮氏もバイクで年越し宗谷岬チャレンジやっているんだよね。私も北海道民だから真冬にバイクで走るなんて「なんて危険なことを」とは思うけど、やりたい人は自己責任でどうぞってスタンス。だけどその自己責任論が許容できない人も北海道民には一定数存在していてその気持ちはわからないこともない。他所から来て、交通に混乱起こして、年末のクソ忙しい時期に転けて病院担ぎ込まれて。あれ?どっかで聞いたような話だな。まあ要するにバイク乗りなんてどこで何をしようが煙たがる人は煙たがるんだから、バイク乗り同士で分断をしても仕方がないってことで。

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