ホワイトベース二宮祥平が問題発言!?沖縄17歳少年の警棒失明事件の本質に迫る

今回は警察の取り締まり方法に物申している二宮氏の姿勢のほうが正しい!何の話かというと、2022年1月27日に沖縄で起きた「スクーターに乗った高校生が警察官の警棒で片目を失明した」事件についてです。まずは二宮氏の主張を見ていきましょう。

いかがでしょうか。私はこの二宮氏の発言に賛同します。物事には順序があり、職務質問を振り切ったからといって警棒で少年の片目を失明させて良いなどという論理はまかり通りません。仮に警察官の行為が故意でなく事故だったとしても、公務執行にあたり少年に大怪我をさせたという事実がある以上その責任からは逃れられません。考えても見ましょう、我々一般人が車でもバイクでも良い、車両の運転中に故意ではなくあくまで事故で警察官を跳ねたとしたら、怪我が大したことなくてもまず九分九厘その場で現行犯逮捕されます。罪状は公務執行妨害でも何でもいいです、とにかく身柄を拘束されるのは間違いありません。なのに立場が逆だったらお咎めなしというのでは話の筋が通りません。

もう少し専門的に考えてみましょう。警察が行う職務質問において有形力の行使には一定の制限が課されている事は皆さん承知のことと思います。詳しくは各々で判例などを調べていだだくとして、基本的には「警察比例の原則」が適用されます。

警察比例の原則とはなんぞやというと、今回の事件に当てはめてざっくばらんに極端な例で説明すれば「一方的に逃げている犯人を捕まえるために拳銃を撃ってはいけない」ということです。難しく言うと、警察官の武器使用については、自己や他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止の為の事態に応じ、合理的に必要と判断される限度で使用することができると定められています。棒を持った犯人には警棒で、銃を持った犯人には拳銃で対処するという話です。この基本的原則を間違えると、万引き犯を捕まえるために射殺しても構わないとなってしまうので注意が必要です。

この高校生が現在進行系でなにか犯罪を犯していて手配されており、逃走をするための手段としてスクーターで警察官を跳ね飛ばすつもりだったのならまだ議論の余地はあります。しかしこの事件では、警察官は「職務質問をするため」に高校生のスクーターに接近したと言っています。職務質問から逃げるために警察官を避けることはあってたとしても、積極的に警察官を跳ね飛ばして怪我を負わせようとする高校生なんて存在しないでしょう。もしそんな高校生がうようよしているのなら沖縄という地は相当のマッドシティと言わざるを得ません。

逃げようとした高校生の目に警棒が当たってしまったという話だったら素直にやりすぎを謝罪すれば良いのですが、現段階でも警察は「けがをさせた認識はなかった」とさえ言っているではないですか。

どうも世の中には「犯罪者を確保するためには警察が相手に怪我をさせても一向に構わない」と考えている人が多いようです。参考までにこの動画のコメント欄を見てください。

暴走族のバイクを止める為にわざとパトカーで体当りするのは前述の通り「警察比例の原則」により許されません。なのにこの警察の行動を称賛する意見の多さにはゾッとしてしまいます。もちろんこれは「事故」なのでしょうが、これでもしバイクの若者が死んでいても自業自得で済ましてしまいそうな世論の感性というものは、今回の失明した高校生に対する批判的な意見とどこか重なって見えてしまいます。

最後に、盲目的に国家権力に肯定的な意見を述べる人たちに対してこの有名な詩を贈って締めくくりたいと思います。

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから

そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

 

 

 

 

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