高齢者特有の事故?プリウス暴走死亡事件について

最近メディアで毎日のように目にする「高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違いによる事故」。実際にお歳を召されますと、何かの拍子にアクセルとブレーキを踏み間違えてパニックになり硬直してしまうご老人が稀によく居るようです。こわいこわい。

もっとこわいのは、そういった踏み間違い事故を一度経験しているくせに、懲りずにまた車を運転して、また同じ事故を起こすというボケ老人が実際にいるということです。

だからといって私は安易に老人の運転免許定年制度導入論に与したりしません。だって私は死ぬまで運転するつもりですので。

自動車整備工場を営んでいた私の祖父もガンで死ぬまで運転していましたし、タバコの吸い過ぎと不摂生、貧困の再生産や家庭の崩壊その他諸々役満状態で生活も身体もボロボロ、特に肺の状態はレントゲンを取ると真っ黒で医者から見離される始末、当然日常生活でさえよろよろで、この人余命あといくつ?という感じの私の父親(元整備士)も、他の全ては諦めても車の運転だけは絶対に諦めまていません。ハンドルを握ると何故か豹変してまともになります(笑)そして死んだら自分の車に自分の遺体を乗せて火葬場まで運んで直葬してくれと遺言まで賜っております。実際ガンで死ぬ間際も痛みに耐えかねて病院に行く時に言ったセリフが「病院に行くから、俺の車の運転席まで肩を貸してくれ」でした。

そんな家系の我が家ですので、当然私も死ぬまで運転はやめません。右腕を骨折して左手一本でマニュアル車を運転してドリフトしようとしたり(さすがにドリフト走行は難しかった。ワンコーナーならまだ何とかなるのですが、振り返しが片手では難しい)、バレーボールをしている最中に左足の靭帯が切れたときも右足だけでマニュアル車を運転して帰り、病院に入院するときも自分でその車を運転していったくらいなので、安定した老後か女か車かどれかひとつを選べといわれたら迷わず車を選びます(笑)

一般論的にボケ始めたお年寄りというものは分をわきまえない傾向にあり、何故かそれまでの人生を「ごく普通の一般的ドライバー」と自他共に認めて過ごしてきたはずなのに、老人になったらいつのまにか「ワシは運転が得意なんだ!」と、とたんにスキルアップしてしまったりするあたりからしてすでにボケているのではないかと疑わざるを得ないのですか、そんなボケ老人が勘違いしてしまう要因のひとつとして挙げたいものがあります。

それは自動車メーカーが新車にこれでもかと次々に投入する、運転アシスト機能や乗員保護機能などの余計な新機能です。

言いたいことは山ほどありますが、とりあえずエアバッグなんていらないでしょう。目の前に爆発物がある状態でハンドルを握ね事を強要されるとか怖すぎます。それにアクセルとブレーキを踏み間違って盛大に衝突しても、エアバックが開いて老人ドライバーを保護するなんて本末転倒です(!?)。そういうときこそ「おしおきだべぇ~~~」と頭をフロントガラスに強打したり、シートベルトで鎖骨を骨折したりで、強烈な痛みとともに行為には結果が伴うということをボケた脳みそにしっかりと刻み込ませるべきなのです。なんならついでに高齢者はシートベルト装着禁止とかエアバック禁止とかいう法律を制定して、高齢化社会の解決方法のひとつとして採用しても良いくらいではないかと考えたりさえします。冗談ですが。でもまあそうなったとしても私はそれでも運転しますけれどね。だって車は走る凶器なんですから仕方がありません。

それともうひとつ、老人にはオートマチック車を運転させてはいけないと思います。暴走事故の多数は低速時からの全開加速による暴走です。オートマチック車は構造上アクセルを踏み続ければ際限なくスピードが上がってしまうので被害の拡大を招きます。ところがマニュアル車であればギア1速で出せる速度は構造的にせいぜい60キロ前後です。なんなら国土交通省が国内生産の新車を認可する際の基準に「ギア1速の状態で車速信号が入力されてから3秒以上スロットル開度100%でアクセルペダルが踏み続けられた場合には30キロで作動するリミッター制御を組み込むこと」とかいう規則を作っても構わないかも。

とにかく運転が安易になりすぎた結果、本来であれば運転を諦めていたレベルの老人でさえ運転を続けているという現状が老人の暴走事故を招いていることに疑いはありません。少なくともマニュアル車運転の義務付けなり、AT免許の定年制度導入及び限定なし免許の更新時にはマニュアル車の運転が出来るかどうかの試験を実施することとすれば、大部分の不適格老人ドライバーは排除できる筈です。

さて長々と前置きが続きましたが、先日発生した福岡市博多区の原三信病院ににプリウスのタクシーが突っ込み3人がお亡くなりになられたという痛ましい事件について、このプリウスを運転していたドライバーは64歳ということで老人というべきかどうか微妙な年齢ですが、このタクシードライバーの証言がちょっと興味深いのです。

「ブレーキを踏んだが止まらなかった。(ギアを変えて)エンジンブレーキもかけようとしたが減速しなかった」

このように供述しています。

まあぶっちゃけた事を言うとプリウスのATセレクターにはLとか2とかはなく、ブレーキを意味する「B」しかないんですけれど、これはエンジンブレーキでブレーキパッドへの負担を減らすモードなのですが、ここで二点注意が必要です。

まず一点目。このドライバーは車両が暴走中にもかかわらずシフトレバーを操作してなんとか車速を落とそうとしていたということ。理想を言えばパーキングブレーキもベタ踏みしていてくれれば有力な証拠になったのですが、二種免許を持っているのに単純にアクセルとブレーキを踏み間違えるレベルまでボケていたとしても、そんな人がシフト操作を試みるというのは、どうにも腑に落ちないといいますか、ボケていたらそんな事を試す余裕さえない筈なので、ボケていたと断ずるのはいささか不合理な印象を受けます。

そして二点目。プリウスのブレーキはブレーキペダルと物理的につながっていません。最近はスロットルどころかハンドルですらドライブバイワイヤ化されていて(つまり電気的な信号だけで車側がアクセルやステアリングの動作を決定しているということ)古いタイプの人間の私としてはそういう車種にかなり不信感があるのですが、プリウスの場合はエンジンとモーターの統合制御で燃費の向上を図っているので、通常のブレーキパッドでローターを挟んで作動するブレーキと、モーターの発電でタイヤの回転にブレーキを掛ける回生ブレーキの両方を、状況に応じて車両側がその配分を判断、決定しながらブレーキを作動させているのです。つまりブレーキバイワイヤといいますかフライバイワイヤと言っても良いものか、とにかく従来の自動車とは異なりドライバーがどんなに強くブレーキペダルを踏み込んでもマスターシリンダーやブレーキフルードの圧力が直接ブレーキのキャリパーに届くことはごく特殊な例外時を除いて「無い」ということなのです。

つまりプリウスがブレーキキャリパーにブレーキフルードの圧力を伝えて摩擦ブレーキを作動させる時、その圧力はドライバーが踏みつけているブレーキペダルからのものではなくて車体側に組み込まれている油圧ポンプとソレノイドにて電気的な制御で発生させているものだということなのです。これを恐ろしいと感じるか感じないか、まあ感じない人が多いからこういった車が道路を普通に走っているのでしょうけれど、フライバイワイヤが許されるのはせいぜいスロットルまでで、ステアリングだのブレーキだのまで全部ドライバーの物理的な操作から切り離してしまうのはいかがなものかと疑問を持たずにはいられません。

そんなときに起きたプリウスタクシーの暴走事故。もちろん踏み間違えという可能性も否定しませんが、理論的にはブレーキを親の敵のごとく思いっきり踏みつけていてもそれだけではブレーキキャリパーは動作せず、車両のセンサーや電子制御が正常な状態で始めてブレーキペダルとは全く別系統に用意されている油圧ポンプが作動してブレーキキャリパーにブレーキフルードの圧を発生させる仕組みであると考えると、自動車のハイテク化をやみくもに進めるよりは、本来の姿への回帰、つまり車とはドライバーが操作するものだという基本に戻ることこそが安全なのではないか、それと操作の能力が劣るドライバーは自然と路上から淘汰される仕組みのほうが理に適っているのではないか(何も事故で死ねと言っているわけではありません。エンストしたりよろよろ走ったりして他の車からクラクションでも鳴らされまくれば運転することが嫌になって淘汰されるということです)、そう感じています。

 

 

 

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