スパイクタイヤ大騒動 1 基地外社長と世の中なめてる走り屋ギャル

世の中には親切にすればするほど恩を仇で返されるという事がよくあるのだが、しばらくぶりにひどい目にあった。厳密には仕事の話ではないのだが、読者の方にはしばらく常識や日常の埒外の信じられない世界にお付き合いいただこうと思う。

それは1本の電話から始まった。

「ケインさんですか?お久しぶりです、みい(仮名)です」

 

この子は以前私が自分のガレージの整理の為タイヤを激安で処分した時に、2セット買ってくれた走り屋を目指しているドリギャルのみいちゃん(仮名)だ。その時mixi経由で知り合いになり、それからネット上で多少やりとりをしている。

「実はあたしのスカイラインにフルピンを履かせようと思って今あちこちお店を見てまわっているんですけれど、13インチとか14インチとかばかりで、あまり良いものがなくて。どこかにそういうのを売っているお店を知りませんか?」

フルピンという言葉を知らない若い世代のために解説しよう。フルピンとはいわゆるスパイクタイヤのことで、特に普通のスノータイヤに小さなピンを100本程度打ち込んだ一般用のものではなくて、競技用ラリータイヤをベースにしてスパイクピンを打ち込んだ雪上、氷上用タイヤのことである。

「あー、みいちゃん。スパイクタイヤっていうのはもう普通のルートでマトモなものは手に入らないよ。そもそも店では今時ほとんど売っていないし、売っていてもマトモなものはべらぼうに高いし。」

「そうなんですか?」

「そう。まあ俺はね、フランスからピン自体やピン打ち機まで輸入しようとしたくらいのフルピンマニアだから、はっきり言ってそのあたりの事情は詳しいよ。まあフルピンが欲しいっていうのなら色々と特別なルートを持っているから、それこそWRCで使うピレリのフルピンから中古のボロボロのでも一応どんなのでも手には入ると思うけれど、一体どんなのが欲しいの?」

「とにかく安いのが欲しいです!!」

俺は頭を抱えた。スパイクタイヤに関しては本当に安物買いの銭失いという言葉がそのままズバリ当てはまるもので、安いフルピンにはとにかく注意しなければならないのだ。

それは何故か。0.1秒を争うタイムトライアルをするのでない限り、スパイクタイヤの価値というものはピンにどれだけ耐久性があるのか、その一点に尽きるからだ。粉塵公害によりスパイクタイヤ販売が自粛されてから既に10年以上が経っている。当時はRE39RだのWR13だのIT-14だの色々な競技用スパイクタイヤが存在していたが、スパイクタイヤ時代も末期になるとそれらのタイヤ自体が既に姿を消しており、最後まで残っていたフルピンはかろうじてダート用のタイヤとしてラインナップが残っていたヨコハマのMT-14というラリータイヤに手作業で1本1本ピンを打ち込んだものだった。これも2000年初頭にはタイヤ自体の販売が中止されて日本国内からはフルピンのベースとなるタイヤがすべて姿を消したのだった。

ここで余談になるが、スパイクタイヤの消滅とスタッドレスタイヤの普及には、実は政治的な裏事情が存在する。確かに粉塵公害(知らない人はヤフーでググってね)が直接の引き金だったのは確かだが、実はスパイクタイヤというものはタイヤメーカーにとっても頭の痛い商品であったのだ。スパイクタイヤに埋め込まれているピン、その先端にはタングステンという特殊な金属が用いられている。これは非常に硬く耐久性があり、米軍が劣化ウラン弾を使い始めるまでは軍事用の弾頭素材として広く使われていた(もちろん今でも使われているが)ほどの材質であり、とにかく磨耗しないのだ。スパイクタイヤ本体はもちろんゴム製であるが、路面と一番最初に接する部分はどこかと言うと、当然このタングステンのピン。そしてピンが多ければ多いほど、タイヤのトレッド面とスパイクピン、それらが路面に接触する比率が逆転していくのだ。つまり、良いスパイクタイヤになればなるほどピンばかり路面と接触して、タイヤのトレッドはほとんど磨耗しない。それはタイヤが全然減らない=いつまでも使えるということだ。ということは、良いスパイクタイヤを作れば作るほど新しいタイヤが売れない!!というタイヤメーカーにとっては悪夢のような事態が発生するのだ。

そこでスパイクタイヤのピン数を減らして環境を守ろうという運動が盛んになった。そもそも市販のスパイクタイヤとはタイヤの内側と外側に一列ずつ気休め程度にピンを打ち込んだものがほとんどで、ピン数も100本程度、オマケにタイヤのセンターが常に路面と接するのでタイヤ自体もそれなりに磨耗する。そしてピンの突出量もせいぜい1~2ミリ、しかもピンはチップピンと呼ばれているやる気のないピンだ。


なのでFFや4WDならいざ知らずちょっとした坂道でさえ登れなくなるFRに対してまでスパイクタイヤを禁止する必要など本来はなかったのだ。せっかくなのでここでピンの種類について解説しておこう。まず一般のスパイクタイヤに使われているチップピン。俗におっぱいピンともよばれているこいつは、一番安価で路面に対する攻撃性も低いので普通のスパイクタイヤに良く使われている。頭部の黒いところだけがタングステンでできている。

次にマカロニピン。これは頭部がすべてタングステンでできており耐久性が高い。ピン部の長さも長いのでオールマイティーに高性能を発揮する。

最期にカップピン。頭部がワインカップのように窪んでおり、鋭利な形状になっている。そのためグリップはもっとも強力だが、耐久性で言うとマカロニには劣ってしまう。

MT-14ベースでフルピンを作るのであれば、単価が安いという以外チップピンを選ぶメリットはなく、必然的にグリップを追及したカップピンか、耐久性を重視したマカロニピンということになる。実際のところカップピンも凍結した一般道などで使っていると角がすぐ磨耗するので、中古スパイクになるとマカロニピンと性能差はあまりないともいえる。むしろピン自体の突き出し量とピンの本数の方がより影響が大きいだろう。

現在流通しているフルピンのほとんどが中古品という状況で、では良いフルピンとは何かと言うとずばり「ピンの耐久性が高くて抜けない」タイヤだと言っても過言ではない。氷上グリップだけを求めた一発勝負仕様のカップピン5ミリ出しなんてものは、ここ一発のタイムトライアルには素晴らしい効果を発揮するがその代わり全開で走るたびにピンがどんどん抜けていく。そしてピン自体の打ち込み方にも職人的な技が必要で、ど素人が打ったピンは3ミリ出しだろうが5ミリ出しだろうがすぐぽろぽろ抜けてくる。

そしてそんなタイヤは通常廃棄されるものなのだが、昨今のフルピン不足事情で、そんなダメタイヤにまたピンを打ち込んだりして見た目だけはバリッとしていて、しかしいざ走ったらまたバラバラとピンが抜けていくインチキフルピンも、かなりヤフオクなどで流通しているのだ。つまり、ピンが抜けない良いスパイクタイヤを探す為にはそれなりの知識や実際に現物を見てみることが必須なのである。

「安いのは本当にワンシーズン持たないでピンがボロボロ抜けるし、現物を確認できないヤフオクは止めたほうが良いんじゃないかなあ?」

「でもどうしてもフルピン欲しいんです・・・」

「うーん、安くて良いのってのはなかなかないと思うけれど、まあ一応知り合いのルートで探してあげるよ。195/65R15しかないけど、ホイールはスカイラインのフロントに履けるやつ持っているんだよね?」

「できればホイール付きだと嬉しいんですけど」

「それは多分ないわ。あっても高いしスカイラインに履けるかどうかもわからないし、手持ちのホイールでスペーサーかませるなり色々工夫してみて」

「はい、そうします」

「じゃあ一応探してみるけれど、あんまり期待しないでね」

まあ、初心者が練習で履くようなスパイクならチップピンでもピン数が多ければ十分だろうし、マカロニやカップならそこそこ本数が打ってあればスパイク初心者には想像できないほどの強烈グリップ体験ができるであろう。そこで俺は昔のラリー関係の先輩に電話を掛けた。

「まいどさまです、ケインです。ご無沙汰してました」

「おう、生きてるかあ?」

「いやあもう、明日死んでもおかしくないようなひどいありさまですよ」

そして本題のスパイクタイヤについて、なにかよさげなものがないだろうか聞いてみた。するとなんという偶然だろう、あるよ、との答えが返ってきた。

「俺が昔インプレッサで練習用に使っていたフルピンだけど、ピンの抜けもないしそこそこ食うよ。まあ初心者のお遊び用なら十分なんじゃないの?」

早速現物を持ってきてもらうと、打ち込んでいるピン数はそれほど多くないもののブロックの欠けやピンのぐらつきもなく、耐久性はかなり高そうだった。事実過激な走りをすることで知られているこの先輩が数シーズンも使ったというこのMT-14であれば、素人がどんなに頑張って走ってもこれ以上ピンが抜けるという事はまず考えられない。

本来であればもう見た瞬間に即決なのであるが、みいちゃんは画像を見せてくれないと・・・と言っていてそれによって値段を決めたいと言っていた。「とにかく安く」が条件なのに、現物を前にして値段交渉でもするつもりなのかなんなのか。とりあえず先輩には丁重にお断わりをいれて、しばらくこのフルピンを当方で預からせてもらうことにした。

さてガレージ前でタイヤの画像を撮りつつ、ピンの一本一本までぐらつきをチェックする。タイヤ1本あたり140本のマカロニピンが打ち込まれていて、140本×4本のうち、抜けていたピンは僅かに2本だけ。これは相当上物だ。これなら自信をもってみいちゃんにお勧めできる。俺は画像を送ってからみいちゃんに電話した。

「どう、みいちゃん。これなら絶対お勧めだよ!ヤフオクとかでも普通だったら3万4万はすると思うし、店頭ならもっと高いと思うんだけれど、まあ今回はお友達価格で2万5000円にしておくけど、どうする?」

彼女はふたつ返事で即答した。

「買います!」

俺としても、こんなに良いフルピンを「とにかく安く!」という無理難題をクリアして提供できたことにとても満足していた。

「じゃあいつ取りに来る?今から来る?」

「いやあ・・・今日はちょっと。手持ちのお金があんまりないので」

「じゃあいつなら取りにこれるのさ」

「給料日が来週の水曜日なので・・・・」

「じゃあ水曜日?」

「うーん、水曜日にはいけないかも知れないし・・・」

「ならいつになるの?」

「今の段階ではまだはっきりとは決められないんですよね」

若い時分には色々な人に俺も随分失礼なことをしたので、みいちゃんの気持ちや考え方もわからないではない。だがそれでは世の中は通らないという事を教育するのは大人の義務だ。

「あのねみいちゃん。このフルピンは俺の先輩から、俺の信用で、売れるか売れないかわからないけど俺に預けてもらえますかって預かっているものなの。先輩だって別に売りたくて持っていたわけじゃなくて、いつか自分が使うかもと思って保管していたのを、俺が頭を下げて貸してもらっているわけ。つまりこれは俺のものじゃないし、商品とかでもないの。みいちゃんは友達だからあくまでも友達価格で融通しているんだけれどさ、いくらなんでも買うんだか買わないんだかわからないでただ欲しいんだけど代金いつ払えるかわかりません、いつ取りにこれるかもわかりませんなんて話は通らないわ。欲しいなら欲しいなりに、それが相手に伝わるようにちゃんと努力をしてくれないと」

「そんなことを言われても・・・・・うーん、じゃあどうすればいいんですか?」

「まあ、普通は手付金を払って、引き取り時に残金を清算するんじゃないかな。それなら購入する意思はあるという十分な根拠になるし。」

「わかりました、そうします」

「じゃあ今日が土曜日だから、月曜日に10500円を振り込んでね。そしたら取りに来るまで俺が責任をもって保管しておくから」

こうして一件落着となった。なった筈だった。それがまさかたった2日後の月曜日に、ものの見事にちゃぶ台をひっくり返された挙句、警察沙汰にまで発展するなんてこのときの俺は夢にも思っていなかった。

続く

 

この作品はフィクションであり、実在する人物、団体等とは一切関係ありません


 

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