菅野友美さんがバイク事故でこの世を去ってからちょうど1年が経ちました
はいどうも、バーチャル車屋さんのケインです。
時が経つのは早いもので、今日6月14日はともちゃんが亡くなってからちょうど1年の命日です。思い起こせば私が愛機GPZ1100のエンジンブローによりバイクの無い生活を送っていて、なんとなく冷蔵庫の中の萎びた菜っ葉みたくなっていたところを再びバイクに乗り始めたというのも、ともちゃんの事故死がきっかけでした。
なんで人が死んだのにバイクに乗り始めるのか?そう聞かれると若干答えに窮してしまいます。ただ、自分もバイク乗りであり、オフェンスであると示し続けるためにはやはりバイクに乗っていなければダメだったのでしょう。それをともちゃんが思い出させてくれました。
そんなわけで本日は事故現場までお参り?に行ってきました。天候は生憎の濃霧でしたのでバイクではなく車で片道2時間以上掛けて向かいました。ちょっと遠い。
この右コーナーが事故現場です。
私は花束を供えて来ました。私の前にも何人か来られていたようです。でも想像していたより淋しい光景でした。やはり一年も経つと皆さんそれぞれの日常に埋没してしまうのでしょうかね。それにしても酒率の高さ(笑)
まあ、生前のともちゃんはお酒大好きでしたからね。
そんなわけで残された我々は明日も頑張って生きていかなければならないわけですが、最近は先に逝ってしまった人たちのことばかり考えているというのは一体どうしたことなのだろう。生きるのに疲れたか。それともそろそろ俺の番なのか。ではまた次回。
1年はあっという間でしたね。
日常の忙しさが先に逝ってしまった人の記憶を遠くに追いやってしまうような刹那的な寂しさも感じます。
匿名さん、コメントありがとうございます。
事故について色々気になっていることも結局わからずじまいで、このまま時が過ぎてしまうような気がしています。
誰かが事故で亡くなっても、時間が過ぎれば平常の時が過ぎ去っていきます。
事故は起こるべきして起こるもの。
亡くなる人は、亡くなるべき時に亡くなるもの。
人の運命ばかりはどうすることもできないでしょうね。
ただ、周りで誰誰が事故で亡くなったってのは聞きたくないですよね。
追記
この事故の時に一緒に走っていた知人も先日事故を起こしバイクは廃車になり、自身も入院したようです。
死亡事故の教訓を生かせずに峠道で暴走したが故の事故でした。
身内がどれだけ亡くなっても、どれだけ事故で怪我しても彼らは永遠に変わらないんでしょうね・・・・
>>とんちきさん
コメントありがとうございます。
「彼ら」とは彼らでもあり、自分自身でもあると自戒しています。でもバイクに乗り続けている以上変わらないと諦めてもいたりします。
仮にでかい排気量のバイクを止めて125ccにして乗り方を多少改めたとしてしも、どうせ制限速度なんて守りやしないし死ぬときは死にますしね・・・
順番待ちみたいなものですよ。